人を見る目は自分の心の余白とリンクする
- Miiko-spirit
- 4月9日
- 読了時間: 2分

最初に感じた人の印象が
付き合っていくうちに変わることはよくある。
素敵だな、優しそうだな、大切にしてくれそうだな…
この人なら、自分を幸せにしてくれそう。
そんな期待も含め、人は他者との繋がりを求め、深めていこう
とするのだけども、
よく聞くのは、最初はよかったんだけど、
途中から、
自分への対応が雑になった、ないがしろにされているように感じる。
ということ。
恋愛や、友人関係、そして、講師とその受講生…
実はわたしもどちらの立場でも同じような想いを抱いた経験があるので
このような相談や悩みを聞いたときはとても共感できるし耳が痛むことも。
そこでいつも思うのは、
人は、出会いの瞬間お互いにメリットを感じたら、自分の売り(強み)をアピールし、相手の気を引こうとするけれど、
繋がった後にこそ、その人の本性、心の余裕のありなしが現れる、
ということ。
例えば
なにかしらにつけて、言い訳に
「忙しい、ばたばたしている」
など、自ら余裕のなさをアピールして、約束を守らないなど
不誠実な事を繰り返してこないか、
よく観察する必要があると思う。
確かに人それぞ忙しい時は余裕がなくなる。ウソではないにしても、
いつも余裕のない 人に 誰も魅力を感じないのではないだろうか。
最初あなたに何分でも時間を費やして
気を引こうとしてくる人には要注意だ。
本当に大切にしたほうがいい人
とは、最初よりも、繋がった後、あなたに時間を費やしてくれる人。
だと思う。
それは尽くす人という意味では決してなく、
共依存関係でもない。
その差はむずかしいところだけれども、
とにかくポイントは
余裕を感じれる人
かどうかだ。
自分のバランス、家庭のバランス、仕事のバランス、
どれもうまく取れている人は
あなたのことを都合よく扱ったり、振り回したり、ないがしろにしないはずだ。
人を見る目は、その人の外見を見る目、ではなく
その人の内側にある心の余白を見る目
なのだと思う。
もっと言えば、自分の心にも
余白
を意識しておくことで
出会う人の質は
変わってくる。
さあ、一休みしよう、余白を取り入れよう。

